ヒレル
聖書解釈の基準を確立


ヘロデ王と同じ時代に生きたユダヤ人の賢人ヒレルは、聖毒韓択の明確な基準を制定する責任を負った。

ヒレルの7つの基準で、何世紀にもわたり大きな影響力をもった。

ヒレルは平和を愛し、あらゆる人の友人であり、献身的な教師であるとともに、ユダヤ教聖書の情熱的な研究者であり、忍耐と自制の人として名を残している。

歴史が彼の人格を誇張してきた可能性はあるが、ヒレルは他者のなかに、そして、より広くユダヤ教のなかに、まさに彼の特性といわれていたこれらの特性を見出し、尊重した。

ヒレルは兄弟愛こそ、ユダヤ教の核となる真理だと考えていた。


この「黄金律」、すなわち、自分が人からしてほしいと思うことを人にせよという勧告は、ほとんどの主要な宗教や現代の倫理思想に見ることができる。

彼はまた、聖書と法律を学ぶ重要性を熱心に提明した。

ある文献によると、ある日ヒレルはエルサレムの街頭に立ち、働きに出かける人々に声をかけて、いくらかせいでいるのかとたずねた。

相手が答えると、彼は「トーラーを学んだら、もっと豊かな暮らしができるようになるぞ。

トーラーを学べば、この世と来世で必要なものはすべて手に入るのだから」とすすめたという。

ヒレルはトーラーの熱烈な信奉者だったが、トーラーの解釈を制限することはなかった。

同世代のライバルである律法学者シャンマイとは対照的に、ヒレルはリべラルな解釈を提唱したため、彼の裁定はその時代の社会経済的状況に合致したものになった。

一例をあげると、当時聖書の解釈にもとづいた反対の法律があったにもかかわらず、

彼はプロズブル(債権者に融資の返済を保証する法律)を制定し、貧困者に金を貸すと、その金を失うことになるのではないかという債権者のおそれをとりのぞいた。

ヒレルとシャンマイはそれぞれ異なった解釈の基準を採用し、それはふたりの死後も、ヒレル派とシヤンマイ派の弟子たちに受け継がれた。

クルムードには、この2派のあいだに存在した300以上の意見の相違が記録されている。

ごくわずかの例外を除き、ヒレルの見解が法的基準として確立された。

ヒレルはユダヤ人の生活に大きな影響をあたえ、パレスチナのユダヤ人指導者は、5世紀までとレルの弟子がつとめた。